報われない社会

  • 2017.03.14 Tuesday
  • 22:09
昨日の新聞を買ってきた。駅のスタンドやコンビニでは当日の新聞しか売っていないので、散歩がてら新聞販売店に足を運んだ。日付の過ぎた新聞は価値がないとされるので、かなり値引いてくれる。産經新聞は当日付けでもワンコイン(100円)らしいが、それよりも安い。

兵庫県の公立高校の入試問題を見たかったからである。公立高校の入試問題というものは、憲法に近い性質を持っている。「ウチの都道府県の小中学校では、このような問題を解けるような指導をしています」という公表だからである。歴史教科書でんでんという輩は、社会科の近現代の辺りしか見ないのだろうが、理科も数学もよい問題が出されている。理科では地震のP波に関する具体的な問題が出され、数学では携帯電話の料金プランを比較させる問題が出ている。国語と英語も奇を衒わない問題。

※兵庫県の今年の問題


さて。


小生は教育という言葉が嫌いである。「社員教育がしっかりとなされている」という言い方があるが、これは雇用者にとって都合よく振る舞うように社員が「訓練」されていることである。雇用者を国の水準にまで引き上げると、義務教育や高等教育になる。そうすると、役に立たない学問は軽視される。学徒出陣では文科系の学生から徴用されたが、「文学や哲学は役に立たない」という為政者の考えの結果であり、今の政府も「自衛隊に協力するなら予算を出す」という方針を進めようとしている。

学者にもバカがいることは否定しないが、アベ水準のバカばかりではないのも事実である。故に軍事研究はしないという学会声明が出された。だが、これは学会だからできたことであって、知的弱者は反対するという概念すら持ち得ず、服従するよりない。

そうして、バカでも総理大臣になれるのだとして学習を放棄する若者がいても不思議はない。それと同時に、賢明な若者は勉強しても無駄だと感じるはずである。なぜなら、社会に於いて有力なポジションにいる者(首相を含む)であっても、漢字入り(ルビなし)の原稿を読むことができない現実を見ているからである。

あるポジションや地位に必要とされる能力を持ち得ずとも、そのポジションにおさまることができる。そうであれば、本来そのポジションにいるべき人が理不尽な理由で排斥されることになる。「結局は家柄」として、経済弱者の子弟は学習を放棄する。これを知って経済強者の子弟は何の学習しても無駄だとして放棄しそのまま大人になってしまう。その典型なのがアベとアソー。

アベとアソーの低劣の言動が報道される回数に応じて、優秀な子どもは芽を摘まれ、勉強が嫌いな子どもは図に乗る。どちらも勉強をしないのだから、全体の平均が下がるのは明らか。

しかしバカな国民、正確には思考を放棄した有権者ほど為政者に都合のよい存在はない。「それでもやっぱり自民党かなぁ」という輩が内閣支持率50%を形成している。「やっぱり」という言葉は、物事を検討する前に有力な選択肢があることを意味し、それを支持する人が少なくないことを意味する。「選挙は自民、野球は巨人」という輩は初手より思考を放棄している。

四捨五入すると五十になる小生、有事に徴兵されるようなことはないだろうし、体力の極めて劣る小生をも徴兵せねばならないような軍ならば、すぐに壊滅する。昨今は高齢者が自動車を運転することによって起こした事故の犠牲者も多いが、それを避けられたとすれば寿命や病気という生物学的要因ではなく、「国家の愚策」によって命を落とす可能性が一番高くなることになる。

戦時中の空襲の犠牲者とその遺族には、未だに何の保障もなされていない。

アベの矛盾について

  • 2017.03.11 Saturday
  • 21:44
中退とは言え、大学の四年生にまでなったので就職活動の経験がある。どこの企業を訪問しても「その分野のトップ企業、トップシェア、ガリバー」であり「ウチの会社がなければ社会が回らない」。

パッケージメーカーに運送業者、ベアリング、計測機器、製鉄……。

……、そうだろうよ。「必要とされる存在」と認識することにはある種の快感を伴う。そういうところを突いたのがアベの「一億総活躍社会」。しかし、誰もが大切な存在と考えることと誰もが社会で活躍する(べき)と考えることは全く異なる。誰しもが上記の企業のような存在になってしまうとどうなるのか?誰か一人が体調不良や家の事情で歯車の役割を果たせないとき、その瞬間、社会全体が崩壊することになる。

もうすぐ始まる春の甲子園、岩手県の不来方高校が21世紀枠で選出された。高知の中村高校も同じ。不来方高校の野球部は10人で、中村高校は16人だという。甲子園でベンチ入りできるのは18人らしいから、普通は強豪校の三年生でも「甲子園出場校なのに、甲子園に出られなかった」という悔しい思いをすることになる。それを考えれば恵まれているとも言える。

けれども中村高校はともかく(その中村高校も1977年に12人で出場したことがあり、その3年前にはあの池田高校が11人で出場している)、不来方高校はプレイ中に二人以上の負傷者を出したらどうなるのだろうか?このことを考えるだけでも、ベンチ入りの定員を満たしている高校でのグラウンドに出ない選手の存在の大きさがわかる。

このような消極的な意味での待機組だけではなく、積極的な意味での待機組も存在する。十年前の阪神である。「JFK」と称された、1イニングずつを分担して抑える投手リレー。相手チームは「6回までにリードを奪っておかなければ」というプレッシャーに襲われた。「JFK」の出番が来ない場合もあった。明らかに負けている場面もあったが、それまでに投げていた投手の調子があまりによかったか、打線が爆発して大量のリードを得ていたときである。このような「出番がないときの『JFK』」はいなくてもいい存在だったか。

話を一般社会に戻す「バックの存在はデカい」。そしてアベの政策にもう一言加える、「女性が輝く日本」。

活躍という言葉が好きな御仁らしい。だが、アベは男女共同参画社会に反対している。「共同」に反対して「輝く」を推し進める?単に夫唱婦随を社会規模にするに過ぎない。憲法24条の改訂も含めて「サザエさん世帯」の拡大、一般化に過ぎない。

小生は「サザエさん世帯」を否定はしない、望む人はそうすればいい。だが、国がそれを推し進めるというのは、他の様式の生き方(同性婚、母子家庭、単身世帯)の否定に他ならない。極めつけが稲田朋美の教育勅語賛同である。稲田朋美は刑法第二百条(尊属殺人罪)の復活も唱えている。父や母を殺した場合は死刑か無期懲役という条文である。親からの虐待など当たり前のように報道されている。当たり前であることを肯定しているわけではないが、そのような現実が存在するのである。女性であるならば、親から強姦されるケースもある。もちろん相手を殺すことは認められないが、このような状況でも相手を殺した場合の刑罰が「死刑か無期懲役」とはあんまりではないか。

参考:
刑法第二百条(現在は削除) 自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス


ならば反対は?親が子を殺した場合は?
単なる殺人罪である。死刑はおろか無期懲役になることも滅多にない。

短信

  • 2017.03.09 Thursday
  • 23:19
復旧しました。

各位

  • 2017.02.28 Tuesday
  • 23:16
「暫し、ネットから離れます」。


いや、メインとして使っていたiMacを修理に出すからです。iPhoneやiPadを使っての返答やTweetは可能ですが、混みいったことの発信は難しいです。


積ん読を崩して、充電しておきます。

サンドイッチ

  • 2017.02.22 Wednesday
  • 16:09
「ラストエンペラー」のときは気にならなかった。小生が17歳だったからであろう。

時間が流れた。

「ラストサムライ」という映画のタイトルに引っ掛かった。次に、「LAST LOVE」というケータイ小説を書籍化したものにも引っ掛かった。宇多田ヒカルのデビューアルバムのタイトルは [First Love] で、中森明菜を有名にしたのはデビューシングルの「スローモーション」ではなく「セカンド・ラブ」。

共通項は、どれも定冠詞が抜けているということ。「そんなもの(=定冠詞)どうでもいいじゃん」という人がいるのは知っている。それでそれで構わない、「そういう人とは話ができない」というだけ。塩胡椒を振りかけたパフェを美味いと感じるのはその人の自由で、けれども僕はそんなモノを食いたいたいとは思わないだけ。


さて。

「好物は何ですか?」とは、小生にとって一番困る質問である。質問には「飲料は含まない」という条件が含まれているようで、銀河高原ビールとは答えられない。そうするとタイトルのように答えるしかない。

「サンドイッチにもいろいろあるじゃないですか?」と問われる。確かにツナや玉子、ベーコンなどいろいろある「どれも好き」。言い換えれば「どれでもいい」。

「コックはイギリス人、警官はドイツ人、技師はフランス人、銀行家はイタリア人、恋人はスイス人」というエスニックジョークがある。イギリス人は食に無頓着ということらしい。事実、サンドイッチも18世紀のイギリスの公爵が言い出したのが起源とされている(実際は自然発生的に、紀元一世紀辺りに既に見られるという)。ま、その辺りはどうでもよい。小生がサンドイッチを好きな理由は二点である:

・マナーが要らない
・食器も要らない

そういう点では日本食の「おにぎり」も好きであると言える。要は食事が苦手なのだ。

拙宅に来た人が言う「食事はどこで?」。流石に来客のときは坐卓を出す。だが、オノレ一人なら別である。横にコーヒーでも置きながら、本を読んでいたりネットをブラウジングしていたりする間に自然になくなってしまっているような食べ物がいい。嘗て、宇宙食が市販されたが販売ベースに乗らずに撤退したという。なんと勿体ないことをしてくれたのだろうか。点滴だとか或いは胃瘻だとかというものを、常人にも提供してくれないものだろうか。食費の計算も簡単になるし、必要な薬もそこに混ぜれば飲み忘れも生じない。

白抜き:
朝:バナナと牛乳、青汁粉末をトマトジュースで溶いたもの
昼:コンビニまで足を運んで弁当
夕:納豆とキムチ、卵を混ぜたものの丼

米は当然パック飯である。「こんなのでいいの?足りるのぉ!?」とたまに言われるが、これでも一日に三回も食事をしなければならないのである。青魚が足りないと言われれば、出し用のいりこを買ってくる。スナック代わりに齧る。

好きとか嫌いとかではなく、興味がないのである。相撲で「どの力士が好き?」とか、プロレスで「どのレスラーのファン?」とかと問われるようなもの。相撲にもプロレスにも興味がないので、どんな力士やどんなレスラーがいるのかさえ知らない。みかんとオレンジとゆずときんかんとはっさくと……。栄養学的には大差ないと思われるので、この中ではみかんである「皮を剥きやすくて種がないから(食べるのにも片付けるのにも手間取らない)」。

モノの価値

  • 2017.02.20 Monday
  • 23:22
「それに6,000円の価値があるのですか?教えてください」
問われた小生は返答に窮した。

小生が紹介したのはMac向けのテンキー付きワイヤードキーボードだった。これ
現在は5,200円だが、紹介したときは為替の関係か6,000円ほどした。その人の持っている林檎はiMacとiPad miniの二台。現在のiMacについているのは、キーボードもマウスもワイヤレス。

「このキーボードならばテンキーもついていて、更にはワイヤードだから電池切れの心配もない」
とメリットを説明したものの、「高い」と一蹴された。

その半年後、こちらの携帯電話が鳴った「キーボードの電池切れと画面に出ているのだが、どうやって交換すればいいのか?」。そのときのエントリ、これ

販売価格はそのモノの価値を現すという考え方があり、大方は同意する。しかし、買い手の価値にも大きく左右されることを知った。たとえばこの場合、自宅にMacもWindowsも、要はキーボードを接続するような機器がない場合、どれだけ便利であっても6,000円は無駄である。

定年退官された先生であるから、年金暮らし。そうであれば商品に対する価値も変わってくる。だが、退官後も何度も欧州を往復され、その度に百冊を超える本を購入される先生である。「6,000円あれば昼食20食分を賄える」という派遣社員とは異なる。

よって、6,000円のキーボードを紹介した。しかし「価格相応の価値があることを教えてくれ」と問われた。……、応えることはできなかった。

プライバシー

  • 2017.02.14 Tuesday
  • 21:56
ふと思いついて、固形石鹸を小さな洗濯ネットに入れてトイレのタンク内に吊り下げてみた。今日で三日。劇的な変化はないものの、トイレ内が汚れにくくなったように感じる。

最近、買ったもの:


いや、今までも、通販で何かを買ったときの段ボールに貼られている宛名シールは全て剥がしてから出していた。しかし、小さな封筒やダイレクトメールのそれは「燃やすゴミ」のゴミ袋に入れて出していた。ゴミ袋に黒いものを使っておけば、これで間に合った。だが、今月からは透明か半透明のゴミ袋で出さなければ、回収してくれなくなった。燃やすゴミの袋の中に空き缶を入れる輩が絶えなかったからだろう。今までもゴミ収集の人が、怪しいと感じたゴミ袋に対して一部分を開封してルール外のものが入っていると持って行ってくれなかった。

「透明か半透明のゴミ袋」は嫌だが、ゴミ出しのルールを守らなかった市民としてのツケである。そうすると、このようなプライバシー確保のための道具を用いざるを得なくなる。

使ってみた感じは悪くない。この方式では完璧な抹消は不可能だが、そこまで要求するならばシュレッダーを使うべき。



存在しない中心

  • 2017.01.27 Friday
  • 00:28
本棚から引っ張り出してきた文庫に挟まっていたもの:
2017-01-26 23.27.46.jpg

「7/20(火)〜8/9(月)」とある。2017年の現在から振り返って、7月20日が火曜日であったのは、
・2014
・2010
・2004
・1999
・1993
……となるのだが、小生がこの種の割引券を手に入れたのは、生活様式から考えると1999年しか残らない。

本棚からこれほど古い文庫を取り出すには、偶然かそれなりの理由かのどちらかが要る。後者である。
「あの著者のあの本にあったのではないか」と曖昧な記憶をもとに、確かめたい文章を探した。そして探し当てた、以下:

 おそらく、日本人が好きなのは、野球ではなく、野球についてまわる物語の方なのだ。だがそれは、同じ野球を国技とするアメリカ野球の物語とも違う(アメリカ人もまた、野球の物語は大好きだ)。アメリカ野球がグラウンドで見る野球なら、日本人の好きな野球は、テレビで見る、スポーツ新聞で見る野球なのではないか。

(中略)

 テレビの前に陣取り、スイッチをひねる。そしてプロ野球中継がはじまる。いつもの、テーマミュージック。お馴染みの広告。しゃべりつづけるアナウンサーと解説者。目の前で繰り広げられている、よく知った選手達によるボールの追いかけ合いを見ながら、我々は奇妙な宙吊りにされたような感覚に陥る。あるいは、夏の(春の)甲子園。毎年違ったメンバーによって、同じ感動のページェントが繰り返されるたびに、やはり我々は奇妙な感覚に陥る。
 なぜなら、目の前で行われているこのゲームの中心には、スポーツがないのだ(アメリカ野球の中心はあくまでもスポーツである)。いや、野球の中心には空洞しかないからなのだ。(アメリカ野球の中心にはアメリカ式民主主義がある。アメリカのスポーツライターは五十年にわたってこのことを書き続けてきた)。我々は空洞を埋めるために、言葉を投げ入れる。そして、空洞が広いほど、言葉は賑やかになる。
 物語を生み出す空虚な中心。我々はだれでも、それについて語り、じつはそのことについてはなにも知らない。これはどこかで見た風景ではないのか。ただ一人を除いて、それ以外の神を必要としない、空虚な中心を持つ制度。我々はいまだそこから逃れることからできないでいる。

※フォント赤色は小生による

高橋源一郎「平凡王」(角川文庫)から引用。小生が赤フォントにした部分が何をさすのか、説明するような無粋なことはしない。そして、今のこの国の政治である。選挙で選ばれた者によって議論される行為こそがまさに政治なのであるが、アベのふざけた答弁と、それを後ろで崩れるように椅子に体を任せつつ笑うアソウ。

何を訊いてもまともに応えることはない、アベ。自分の答弁には野次を飛ばすなという本人が、辻元清美氏の質問に対して「早く質問しろよ!」と野次を飛ばす。「日教組!日教組!」と野次を飛ばしたこともある。

幸か不幸か、政治家の姿はしょっちゅうテレビやネットで見る。だが、政治家の姿と政治そのものは別物である。少しだけ注意を向けてほしい。そこで伝えられているのは政党と政党の間の力関係の変化か、派閥の構成の変化だけであることがわかるはずである。要は、多数決を行ったときにどこが有利になるかを伝えているだけであり、政治家と称される人物の人間性や才能とは無縁である。

多数が正しいとは限らないとは歴史が示しているところであり、多数だけで決めた失敗も多くある。そうであるが故に間接民主政が採られているのであるが、アベとアソウは少数に属する意見を「どうせ多数決で抹殺される意見」として、やりすごすことしか考えていない。少数意見に対して「なるほど、そういう考え方もあるな」と自説を再考することは全くない。

現状では議論とそれが為される議会は、多数決を採るための担保に過ぎない。最も大事なことは相手の意見に耳を貸したり相手の疑問に対して丁寧な説明をしたりすることではなく、時間が経過することなのである。ここでの時間は多数決の後で「(その時間で)十分な議論と説明が尽くされた」とされる。

プロ野球での素晴らしいプレイを、その日のニュースや翌日のスポーツ新聞の見出しで楽しみ、後日のドキュメンタリーで何度も楽しむ。……、プロ野球だから許されるのだろう。

訂正でんでん

  • 2017.01.25 Wednesday
  • 14:27
「訂正でんでんというご指摘は、全く当たりません」。

昨日の安倍晋三の答弁より。「訂正云々」を読み間違えた場所。該当箇所のmp3(90秒)
下記映像の49分22秒あたりから

問題は単に読み間違えたという点に留まらない。
大きな問題は二点ある:

・これは首相が野党を中傷しているスピーチの一部であり、そこまでもがライター任せで、しかも本人が読めないということ
・テレビも新聞も、主要メディアがどれもこれを取り上げていないこと

代議士なのである。有権者の中から選ばれた者は議会で有権者の代弁をせねばならないのに、ライターの原稿をそのまま読んでいる。何のための議会政治なのかという、根本的な疑問が出てくる。

二つ目はメディア統制の顕在化である。麻生太郎が「みぞうゆう(正:未曾有)」「ふしゅう(正:踏襲)」と読み間違えたときは、どこのメディアも取り上げていた。今回の「訂正でんでん(正:訂正云々)」に全てのメディアが気づかなかった?そんなバカな!

自民党の広報担当が即座にお触れを出したのだろう。

「過ちて改めざる、これを過ちという」、なるほどそうかもしれない。
しかし、未だに読み過ちを認めすらしていない。


考えない人たちのこと

  • 2016.12.25 Sunday
  • 18:00


ツイート中の「情報リテラシーの問題」「考えるのが面倒くさい(と思っている人たち)」の存在を最近、如実に感じる。考えるための材料は簡単に手に入る。

「ネットには正しい情報『も』ある」くらいに考えておいた方がいい。DeNAの捏造記事の問題も、書き手が誰かを確かめる作業さえすれば、読むに値しない情報ばかりであったことに気付けたはず。しかし、「ネットは正しい」と盲目的に信じる輩がいる。

たとえば、



こういうTweetがある。この写真から「鳩山由紀夫は朝鮮人ばかりを閣僚にした」と宣った人がいた。鳩山由紀夫の好き嫌いは別として、「朝鮮を擁護する人のこと?」と問い返すと「朝鮮人」と断言されてしまった。

現在のこの国では、外国人には参政権はない。選挙権も被選挙権もないので、議院内閣制の閣僚に外国人が含まれる余地はない……というような説明をしても、「この写真で明らかです!」。

……、
……。

積ん読を崩す年末年始に入ります。

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