素振り 〜repeat〜

  • 2017.02.06 Monday
  • 17:39
注文していたシークレットピアスが届いた。


ピアス穴を塞がないためのセカンドピアスで、睡眠時での利用も想定している。金属製ピアスの場合、つけたまま寝ると寝返りを間違えると激痛が走る。小生は、ヘッドフォンをつけるときの為に購入した。オーバーヘッドの場合はそれなりの圧があるので、汎用ピアスは辛い。そこで樹脂製のこれを購入。試してみたところ、違和感は全く感じなかった。


さて。


久々に英語の学習についてである。端的に言ってしまえば「質のよい英短文を、繰り返し暗唱するしかない」。

これに対しては「どのような英短文をどのくらい?」という問いが出てくる。英短文の質については個々人によって異なる「暗唱する本人が文法構造を説明できる程度のもの」。どのくらいという問いについては量に於いては「できる限り多くの英文を」、回数に於いては「果てしなく」。

音声教材が簡単に手に入る時代である。シャドーイングできるまでが一つの目安。「イイタイコト」に対して主語を探してきて、それは三人称だから動詞に [s] がついて…と考えているようではいけない。無論、そのような文法的理解は必要である。だが、そこから先は「自転車の乗り方」である「転ばないように反対のペダルを踏みつつハンドルをしっかり握って」。前方に障害物があって乗り越えなければならない場合は、軽く腰を浮かせて衝撃を受けないようにせねばならない。英短文も同じである。もとになる日本文から「過去完了を使って、従属節の主語は省略して」と考えるのは構わない。それを瞬時にできるまで繰り返さねばならない。それができないというのであれば、英語に限らず外国語の習得は諦めた方がよい。

イチロー選手を思い起こせば理解しやすいかもしれない。彼に同じスイングを10回してみてと頼んだならば、10回全て、バットの芯は同じ軌道を通るはずである。「彼は天才だから?」もちろんそうだろう。普通の人の半分以下の練習で彼はこれをマスターしたかもしれない。だが、彼でも練習は必要だったはずである。その完璧なスイングを会得したからこそ、そことは違うコースに来たボールにバットの芯を合わせることが容易になったはずである。

加えて言えば、彼は今でも練習をしている「その技量を維持し更に高めるために」。

ならば凡人は?

一読して理解できる英文を、流れるように暗唱できるだろうか?スローモーションでのイチロー選手の動きを見て、「理に適っている」と納得することは誰でもできる。英文で言うなら「構文がわかった」という段階に過ぎない。これを血肉化するまでひたすら繰り返す必要がある。単純な訓練や作業は誰にとっても苦痛である。腕立て伏せやスクワットは苦痛だが、否、苦痛であるが故に目的意識を持ってやる者とそうでない者との結果は歴然である。

中学や高校の体育会系の部活では、ペナルティとしてランニングを課するところがあるが、愚の骨頂である。そのような指導者は筋肉と頭脳の関係を理解していない「筋肉を鍛えるのにアタマは要らない」。闇雲に走ったり筋トレしたりするだけであっても筋力はつく。それは否定しない。しかし、そこから伸びることはない。寧ろ苦痛の記憶のみが蓄積され、退行の道が残されているだけである。

小中高の学校教育は12年。小生は半年で高校を中退したので9年半。そこで為されることを凝縮したのが「夏休みの宿題」というやつである。「面倒で鬱陶しい、学力がつくとは到底思えない。だが、9月1日までに仕上げなければ叱られる」これは単なる刑罰である。ここから、学校教育の果たしている二つの役割が浮かび上がる:

・学習という行為は苦痛であると植え付ける
・無理難題であっても、上からの命令には従わねばならない

過労死や過労自殺は後者の産物であり、徴兵を容易にする役割も果たしている。前者は、賢明な市民が出てきては困るという為政者の要望を満たす。そしてここからは自己弁護を兼ねるのだが、学校へ行かなければわざわざ「不登校」と呼ばれる。小生が小学生の頃は登校拒否と呼ばれた。選挙に行かない大人は「不投票」とは言われないのに。

小生の場合、小中高での授業が詰まらんかったから行かなかっただけである。小学生のときは登校拒否、中学で不登校、高校では単位が足りずに留年。「こんな下らん授業を二回も受けられっか!」と退学。どこの時点であっても脱落者だとか落伍者だとか、そのような目で見られた。

学習は学校でしかできないという迷信があるらしい。故に、センター試験で701/800をとって北大に合格したときに「小中学校も多く休んで、高校も途中でやめたのに!?」とご近所さん。

話を語学に戻す。物事を一度で覚えられる人は滅多にいないので、学習には繰り返しを伴う。よって、「学習」=「苦痛」と覚え込まされている人は繰り返しを厭う。幸い、小生はそのような認識を持つに至らなかった。故に繰り返しの行為に入る前に、その行為の持つ意味を勘案することができる。それが「うさぎ跳び」やら「5時間の睡眠」やらであったならば、拒否する。そんな無能な指導者を満足させるために自分を犠牲にする理由は見つからない。

英短文の暗唱には意味があると感じているので、続けている。

百人一首のように

  • 2016.12.27 Tuesday
  • 22:30
今年はまだ今日を含めて5日残っているが、自動車(加害者)の運転手が「ポケモンGO」をしていたが為に亡くなった人が5人いる。「ポケモンGO」を「スマホ」に置き換えると、もっと増えるものと思われる。

だってねぇ、スマホを弄っているドライバーが多いんだもの。

現在の小生は車輪のついている移動手段は持っていない。よって徒歩で信号待ちのクルマの列の横を歩くことが屢あるワケだが、横に目をやるとほんっとーに多い。他にはカーナビを映している画面にテレビが映っているもの。走行中にテレビを視聴できないようにメーカーは配慮しているはずなのだが、簡単に解除できるのだろう。

歩きスマホは本人が害を受けるだけで済むのだが、「クルマスマホ」はそうではない。そうして、これには危険運転致死傷罪が適用できない。過失運転致死傷罪だけであり、最高刑は懲役7年である。クルマの中で地図を見ていて人を跳ねたのと同じ扱い。


さて。


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上から順に、
・佐々木眄「和文英訳の修業」(文建書房)、序文
・伊藤和夫「伊藤和夫の英語勉強法」(駿台文庫)、p.70
・行方昭夫「英会話不要論」(文春新書)、p.77

佐々木眄先生のこの書物が上梓されたのは1952年1月(初版)であり、行方昭夫先生の新書は2014年10月である。「『英借文』方式は支持しない」という英語指導者も何人か知っている。だが、それでも、である。

伊藤和夫先生の上述著書が上梓されたのは、手許に正確な資料はないのだが1995年頃とされる。半世紀を超えて、異なる英語指導者が同じ主張をしているのである「単文を暗唱せよ」。

昨年逝去された笛野高之先生に訊いたこともある。量子化学の権威で「英語何ぞは道具であり、『学習』の対象ではない」と断じておられた。1931年に大阪で生まれ、京都の福知山で育った先生がどこの国へ行っても通じ、論文も難なくこなす英語力をどのように修得されたのか興味があったのである。

今のように音声教材が豊富にあるワケではなく、外国人と接する機会も稀。さらに、福知山という田舎である。そこの旧制中学には優れた英語の教師がいて、只管、英文(英短文)を読んで聞かせたらしい。聞かせただけでなく生徒に復唱させ、発音とアクセントの他にブレスポイントを特に重視されたとのこと。英文を読むときにスラッシュを入れる人がいるが、ブレスポイント(息継ぎしてよいところ)はそこだけだと徹底され、生徒ができるまで何度もやり直しをさせたと聞いた。笛野先生は通学の汽車(本当に汽車の時代)がトンネルに入るまでに何度も読み返し、真っ暗なトンネルの中で覚えたかどうかを確かめたとのこと。

現在、駿台文庫から「新・基本英文700選」というCD2枚つきの書籍が千円で発売されている。毎晩、寝る前にシャドウイングしながら聴いている。冒頭を聞いただけで、末尾までスラスラと言えるように。

尚、「学校英語では話せるようにならない」と宣う人がいる。そういう人は聞くことも書くこともできていないはずである。伊藤先生の言葉を敷衍すれば「ゆっくり読んでもわからないものが、聞いただけでわかるわけがない」「じっくり時間を掛けても出てこないようなものが、咄嗟に口から出てくるはずもない」。

使える?

  • 2016.11.10 Thursday
  • 21:25
大手メディアはどこもトランプの勝利を予想していなかったということは、これはマスメディアの敗北ではなかろうか。結果が出てからの理由付けなら誰でもできる。

トランプ氏が翻意しない限り、TPP(Trans-Pacific Partnership)はそのものが消滅する。小生はTPP参加に反対であったので、TPPに関する限りはよい結果が出たと思っている。日本の大方の農家も胸を撫でおろしているのではなかろうか。

加えて、アベ失脚への好材料となった。TPP参加はアベノミクスとやらの必須条件だからである。アメリカが暫くは動揺する以上、ドルに対する円の信用は高くなる。円安に振ることを目的としているアベの政策もうまくいく筈がない。

アベノミクスのエンジンを最大限に吹かす?ご自由にどうぞ。


さて。

珍しく「当たり」の買い物が二つ続いた。一つ目はロングヘアの人間にとっての至宝といってもいいくらいのもの。今までは髪をバスタオルで巻き、その上からドライヤーを当てていた。「バスタオル ドライヤー」でググると腐る程ヒットするのだが、タオルの中はサウナ状態になる。髪の毛の水分をタオルが吸収し、その水分はドライヤーの熱で気化する。

ただ、問題は腰まである髪をバスタオルで包むことだった。かなりの技術を必要とする。そこへ下記リンクの商品、千円程。簡単に髪全体を包み込めて且つ、マイクロファイバーなのでびっくりするくらい水を吸ってくれる。こげな感じ:
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髪が傷みにくい上に速く乾く、申し分なし。


二つ目の買い物は行方昭夫先生の「英会話不要論」。

母語としない言語を使う場面で一番難しいのは、電話である。音声のみで情報を把握し発信せねばならない。しかし、それ以外の場面なら「なんとかしよう」という気持ちでなんとかなる。眼前の外国人が必死で意思を伝えようとしていれば、こちらも必死になる。どこかへ行きたいのか、体の具合が悪いのか?腹を抱えて倒れ混んでいる外国人に「あなたの名前は何ですか」と悠長に訊くバカはいない。いや、この国には厳然としてバカは存在するのだが、そいつ等は無視。

「電子メール(以下、メール)が普及して何が助かったか」
相手のメッセージをこちらの都合のよいときにこちらのペースで読めることである。外国語ならば辞書を使える。人類の言語の歴史は音声から文字であったが、同じことが電話線で起きている。国際電話ならば時差を考える必要があるが、メールならば作成し終わったときにサーバに送ればよい。外国語の一例として英語をサンプルとするが、英語を使えるとは、「書かれた英語を読み、それに対して英語で的確な返答をできるかどうか」ということである。英語ペラペラは一見カッコよく見える。そして、会話こそが「使える英語」と認識している人が多い、と行方先生は指摘しておられる。「話すのに文法は要らない」という主張をばっさり斬り、「赤ん坊は言葉を覚えるのに勉強はしない、ましてや辞書など」という主張に対しても同じ。

加えて。

聞き取ったり話したりしようとする内容に意味があるのか。真夜中のコンビニ駐車場でたむろしている連中の会話を外国人が理解できなくとも、何の問題もない。日本語と英語を逆転させても同じである。全ての階級や帰属組織、地域の言葉を理解するのは、同一言語であっても無理である。

よって、「英会話?要らんよ、んなモン。それより読み書きだよ」。





母語

  • 2016.09.15 Thursday
  • 00:06
手許にあるのは、「詳説世界史研究」(山川出版社)である。高校の世界史の授業で使われるのは、これの「研究」が外れた「詳説世界史」。「研究」とついてあるだけあって、格段に記述が詳しい。ここに記述されているものを全て記憶すれば、大学入試などモノの数ではない。

守備範囲は五大陸、且つ、人類の有史以来というとんでもない広さである。勿論、アフリカの内陸国の詳しい歴史などは無理だが、国家間相互の関係、対立の原因などはほぼ網羅されている。

これだけの事柄を母(国)語で習得できるのは、他には英語ぐらいではなかろうか。たとえば、中国の歴史とドイツの歴史とでは史料で使われている言語が別物である。国語辞典と地図を用意するだけで、各地域の歴史を知ることができるのである。普通ならば、これだけのメリットを享受するために英語を習得する必要がある。日本語でも構わないのだが、外国語としての習得のし易さで言えば英語である。

社内公用語を英語にした会社や、講義を英語で行ったりしている大学がある。バカかと思う。

体心立方格子と面心立方格子の違いを母語(=日本語)で理解できるのである。これを英語で理解しようとすると、桁外れの時間が掛かる。偉大な先人たちの肩に乗っかって望遠鏡を使えば、個人ではとても見ることができないところまで見渡せる。

原語で学習したいという人を止めることはしない。好きにやってくれればいい。ただ、小生は先人の遺産を使わせてもらう。それだけである。

「読む」>「書く」、「聴く」>「話す」

  • 2016.02.17 Wednesday
  • 05:15
最近よく出てくるバナー:
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「銀行カードローン」聞こえはいいが、審査は系列のサラ金もとい消費者金融が行っている。金利も消費者金融のそれと変わらない。抑、クレジットカード自体が銀行の短期貸し付けのようなもの。こんな「立替」に頼ると雪だるま→自己破産まっしぐら。


さて。


久々に語学(英語)のことを。
「『読む』『聴く』『書く』『話す』四分野のバランスのとれた能力の涵養を」と言われて久しく、「学校英語は役に立たない、使えない」とも。とりあえず後者に関しては「センター試験で9割取れたのか?」と問いたい。センター試験の英語は高2レベルであるので、学校英語で対応できる(ことになっている)。

そうして前者。結論から言えば、「そんなことは無理である」。以下、理由、

まず上記の四能力をインプットとアウトプットに分ければ、インプットが「読む」「聴く」でありアウトプットが「書く」「話す」である。蛇足になるが「聞く(ヒアリング)」に関しては即座に解決できる「補聴器を与えればいい」。

インプットとアウトプット、後者の方が明らかに難しい。どれだけ文法に間違いがなくとも「ネイティブはそういう表現や言い方はしない」と言われれば駄目だからである。アウトプットの方が難しいことは、漢字を思い起こせばわかりやすいかもしれない。「醤油」「躊躇」は誰でも読めるが、即座に書ける人は滅多にいない。

次にインプットの二能力である「読む」と「聴く」だが、後者の方が難しい。同じ文章を与えられたとしても、文字にされたものであれば時間の制限がない。辞書も使える。対して、音声の場合は話し手のリズムに合わせて理解せねばならない。

とすると、英文を与えて「これが読めるか」という試験は一番易しい試験であることになる。文法の穴埋め問題は「英文を読むときの基本的な規則を知っているか」というものであるので、更に易しい。「文法(問題)は単なるクイズで、英語の能力とは関係ない」と宣う人もいるが、無知の正当化に過ぎない。

「英語ペラペラ」という表現がある。滑らかに話している人は確かにかっこいいし、そのようになりたいという気持ちもわからないでもない。では、その能力から帰納してみる「話せるのなら、書けるはずである」。

綴り(スペリング)の間違いはあるかも知れない。だが、オノレが話そうとすることは文字化できる筈である。それはつまり、英作文である。

ここで「運用語彙」「受容語彙」の二つが出てくる。単語集で懸命に英単語を覚えている受験生がいるが、あれは受容語彙を増やす行為である。受容語彙とは見て意味がわかる単語のこと。英文を読むためには受容語彙が多い方がよいので、間違った方法ではない。しかし、これは運用語彙を増やす方法ではない。難しい読みの漢字ばかり並べられた本があったとして、読める漢字の量を増やす訓練と同じである。

運用語彙は受容語彙よりも圧倒的に少ない。加えて、受容語彙にない語彙は運用語彙には存在し得ない。

ここまで考えると、答えは自ずと出てくる「多くの英文(長さの長短を問わず)に触れること。一度だけではなく何度も何度も」。自然と口から出てくるまで、同じ英文を読み、聴く。運用語彙はそこで形成され、それは「書く、話す」となる。

「辞書を使いながらでも読むこと、できれば音読しながら。何度も」

これを実行したからといって「英語ペラペラ」になれるとは限らない。だが、「英語ペラペラ」の人は、必ずと言っていい、この過程を経ている。

リスニングにも文法は必要だという、当たり前の話

  • 2015.10.18 Sunday
  • 14:27
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これは、iPhoneに聴き取らせた英語の一部。
原文は以下の通り:
===
614. Some are called good talkers, and others good listeners.
615. This book is both interesting and instructive.
616. The Siberian Railway is at once the longest and best known railway in the world.
617. It is apt to get either cloudy or windy when the cherry-blossoms are in full bloom.
===
※出典「新・基本英文700選」(駿台文庫)

入力された音声情報と本体に内蔵されているであろう単語の音声パターンを比較し、似ているものをピックアップしているものと思われる。元がリスニング教材であるので、発音は完璧なはず。だが、上の通り。グラマーエラーの修正はできないらしい。

逆に言えば、文法の知識がしっかりしていれば、多少聴き取れないところがあっても自力で穴埋めできることになる。

そうして、リスニングのできない人間が相手に通じる発音でスピーチできるはずもない。



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「カンペで確認できる部分だけでもiPhoneでとれないか?」と何度か試みたのだが、無理だった。ネイティブにも無理なんじゃないかなぁ。

問題が所在するのは制度ではなく、あなたの姿勢

  • 2015.04.26 Sunday
  • 15:16
疑似科学を信じる下村博文は、妙に英語教育に熱心である。指導開始学年を小学三年生まで下げるという。

「中学に入る前に英語に触れておくべき」という主張は小生が子どもの頃からあり、小学生に英語を教える私教育組織もそこそこあった。確かにそういうところに行っていた連中は、中学に入学した段階ではアドバンテージを持っていた。だが、そのアドバンテージが通じたのは一年生の夏休みまで。二学期からは何のメリットも持ち得なかった。

中学に入る前にどういう種類の英語教育をどのくらいの時間受けたのかは知らない。どのくらいの金銭を支払ったのかも知らない。だが、結果としてたかだか中学校に入学して数ヶ月楽になるだけでは、あまりにも高い料金である。

「中高で6年間、大学や短大へ進んだ者であれば8年間以上英語を習ったはず」
「この国では9割以上のものが高卒以上の学歴を持っている」
「それなのに国民の大半は英語を読めない」

このあたりから「学校での教え方に問題がある。指導方法を変えて、履修時間も増やすべき」という考えが出てきて、小学校での英語に行き着いたのであろう。では訊きたい「あなたは高校3年生の英語の教科書を読めるのですか?」。

別に東大や京大の問題を解けと言っているワケではない。「あなたが習ったはずのこと」について尋ねているだけである。「6年間習ったのに」という主張をするためには、習っているはずの能力を示す必要がある。しかし現状は高校入試の英語すら解けない大人が大半。中学までの英語すら身についていないのなら、否、身につけたのかもしれないがすっかり忘れてしまっているのであれば、英文を読めるはずもないし、会話なんて論外。

現在の英語教育の制度に問題があるのだと主張したいのであれば、「高3の教科書くらい簡単に読めるし、苦もなく音読もできる」と言えるくらいの英語力は必要である。別に高い能力を要求しているワケではない。殆どの国民がマスターしているはずの事柄をマスターしているのかと問うているだけである。

その上で「英字新聞はさっぱりわからないし、会話もできない」と言うならば、制度の瑕疵を追及しても構わないが、「定期テスト前のお茶を濁すだけの対策」をしただけの者には発言権はない。

英検廃止論

  • 2015.01.30 Friday
  • 23:27
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Twitterの公式アプリを利用すると、このような宣伝Tweetが紛れ込んでくる。宣伝Tweetを流すのにどのくらいの金が必要なんだろ?上記Tweetが示しているリンク先は、こちら。儲かるワケがないので、状況を理解できる人だけドーゾ。

大体、「絶対に儲かる」のなら分け前を人に与えるようなことはしない。パチンコや競馬の「情報」然り。

さて。

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ジーニアス英和辞典第4版より

ジーニアスは昨年末に第5版が出たので、早めに入手したい。[vehicle] の語義の二つ目で説明されている「媒体」というところに着目した。最近はテレパシーという言葉を耳にしなくなった。そういう手段が使えるなら別であるが、オノレの思っていることや考えていることを最も効率よく伝える手段が言葉であることには変わりがない。そういう意味で [vehicle] は「言葉」の代名詞足り得る。

[vehicle] の第一義として挙げられているのは「(小型の)乗り物」である。クルマが売れなくなったと言って久しいが、それでも国内で年間数百万台の単位で売れている「そのクルマに乗ってどこに行くのか?」。単なる通勤であったりスーパーへの買い出しであったり。その程度ならば新車である必要はない。

[vehicle] を「言葉」に置き換えても事情はそれほど変わらない。朝起きてから夜寝るまでに、どれだけの言葉に接し、発するのか。そこで扱われる情報を伝達するために必要な言葉は、多くの人にとって、それ程難しいものではない。TOEICでの高いスコアも要らない。そうであるならば、「英会話力」とやらも大して必要とされない。胸に手を当てて日頃の会話を振り返ればよい。

肝要なのは「誰が何をどこに運ぶか」である。「最後のパレード」の作者が流暢な英語で説明したとしても、誰からも支持を得られまい。

英語ができればという妄想は、単に多く目にすることに起因するだけであり、スワヒリ語(でなくともオランダ語でもロシア語でもよい)が街中で最もよく出食わす言語であったならば、その言語が英語にとって代わるものと思われるが、抑、大した中身もない意思疎通しかしていない人にとって外国語学習は意味がない。

このように考えると、小学生へ英語を習得させることの無意味さも見えてくる。

母語

  • 2014.09.14 Sunday
  • 15:40
iPhone 6とiPhone 6 Plus。小生は見送ることにした。買うとすれば128GBモデルなのだが、10万円近くの金額に見合う価値を見出せない。NFCは普段使わないし(精々、WAONカードとnanacoカード)、通信エリアの拡大と安定と言われても、

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拙宅近傍ではこのくらいの速度が出る。自宅のADSLの3倍以上の数値。確かに日本全体を分母としたカバー率はdocomoやauに劣るのだろうけれども、要は「小生の行動範囲で使えるか否か」である。この辺りは「SoftBankは繋がらない」と言われ続けた地域であって、多くの人が今でもそれを信じている。よって、基地局が増設されてもユーザは少ないまま。

128GBは魅力だが、それでも小生のiTunesライブラリの半分程度しか入らない。その他の目新しい機能はiOSに起因するもので、「5」でもOSのアップデートで対応できることになる。

前段が長くなった。話は母語である。
内田樹先生のブログ(内田樹の研究室)より引用:
2014.09.14
「英語教育論」についての再論

英語教育についてある媒体に書いたものをブログに採録したところ、それを読んだニュージーランドに20年お住まいの読者の方から手紙を頂いた。
その方の見聞でも、ニュージーランド「留学移民」事情は、だいたい私の指摘と符合しているということであった。
香港や台湾や韓国からの児童生徒の留学生は「いざというとき」の脱出先を確保するという政治的な目的もあるので、parachute children と呼ばれている由。もちろん、そればかりでなく、幼児期から英語運用能力を身につけることで、故国に戻ったときにキャリア形成上のアドバンテージを得るということも期待されている(それをhead start と呼ぶというそうである。「一歩先んじたスタート」)。
僕の見聞の通り、父親が国に残って仕送りする母子家庭がベーシックなスタイルだが、中には小学生の子どもだけをホームステイ先に送り込んでいるケースもあるという。
さて、このように幼いときに母語的環境から切り離された子どもたちはどうなるのか。
家族と一緒に移民してきた場合、母語を生活言語として「話すこと」はできるが読み書きはできないという事例が多い。
小学生の途中で留学したが、英語運用能力が大学入学レベルに達せず、一方日本語では祖父母と会話ができないというケースや、高校の途中から留学して大学入学の英語レベルには達したが、今度は英和辞典の日本語が読めなくなったというケースなど「英語も日本語も中途半端」ないわゆる「セミ・リンガル」というケースも少なくないそうである。
この方は「留学移民」についてもEMI(Englishas a Medium of Instruction=英語以外の教科を英語で教える教育法)についても批判的であった。
高校の数学や物理を英語で教えることにどういうメリットがあるのか。教えられる教員もいないだろうし、英語の苦手な生徒たちは数学や物理学について興味があっても教科内容を理解する手前で梯子を外されてしまう。
それが非効率だからというので、明治初期に大学での教科を日本語で教えられるように、漱石のような卓越した知性を「お雇い外国人」に代えて次々と大学教員に登用し、あわせて日本語そのものを高度化していったのではなかったか。
先人が営々として築き上げて、日本の近代化を推し進めた民族的な努力を100年後にまたゼロに戻そうとする人たちは何を考えているのか。
私たちにまず必要なのは英語の早期からの習得ではなく、むしろ「日本語の高度化」だと私は思っている。
明治時代において西周や加藤弘之や中江兆民や福沢諭吉が果したような「世界と日本を架橋する」仕事を担う人々が出てこなければならないと私は思っている。
そういうのは「そういう仕事は自分がやるしかない」という自覚のある人が進んで担うものであって、利益誘導したり、強制したりするものではない。ましてや、日本人全員が就くべき仕事でもない。
「外界と自分たちの集団の間を架橋すること」は集団が生き延びてゆくために必要な無数の仕事のうちの一つである。必須のものではあるが、無数の必須の仕事のうちの一つであることに代わりはない。
「餅は餅屋」。そういう「架橋仕事」が「好きで堪らぬ」とか「自分の天職だ」と思っている人がやればいい。全員が「餅屋」になる必要はない。
考えればわかるが、「全員が餅屋であるような社会」で人は生きて行くことができない。
そんな社会で、そもそも、誰が餅米を作るのか、誰が餅を流通させるのか、餅を売った金で餅以外に何が買えるのか。少し考えれば「餅屋経済」が不可能であることはわかる。
けれども、それでも「餅屋経済」を願う人たちがいる。
「全員が餅屋であるような社会」はすぐに壊滅してしまうが、「ほとんど全員が餅屋である社会」でなら、残りの「非餅屋」には莫大な利益を確保するチャンスがあるからだ。
彼らは「餅屋が欲しがるもの」(つまり餅以外のすべての生活財)を作り、それを売ることで莫大な利益を上げることができる。
ご覧のとおり、これはグローバル経済の理想状態を戯画化した姿である。
すべての労働者と消費者を規格化・定型化することで企業の収益は最大化する。
全員が同じことしかできない、同じものしか求めない状態にあって、「それ以外のことができる」一握りの人間になることこそグローバル資本主義者の夢なのである。70億の99%を互換可能な状態にとりまとめると、地上のすべての富は残り1%に排他的に集積されることになる。
いま日本の英語教育で推進されているのは、「できるだけ多くの互換可能な人間で地上を埋め尽くす」というグローバル資本主義の夢の実現のためのプログラムである。
明治人たちの身を削るような努力を水泡に帰せしめ、日本語話者は母語だけでは政治も経済も学術も芸術も「語ることができない」状態にすること、つまり言語的な植民地状態に日本を作り替えることに官民挙げて熱中している。
「狂気の沙汰」という以外に形容のしようがないけれど、さすがにここまで頭のネジが飛んでくると、「この人たちは頭がおかしいのではないか」ということには気の利いた小学生でも気づくだろう。
彼らが言語的実践としてどういうオルタナティブを提示してくるのか、私は期待して眺めている。
予測できることが一つある。
それは、アメリカにおけるエボニクスやシンガポールにおけるシングリッシュのような「英語の極端な方言化」である。
戦略的な言い方をすれば、「母語として身につけた英語」ではもう「別の英語」圏の人たちとはコミュニケーションできないという状態を作り出すことで、英語の国際共通性=特権性を解体するのである。
実際に、たぶん半世紀後には、インドと中国では、人々が文法も語彙も私たちの知っている英語とは違う固有の「インド英語」と「中国英語」を話し始めているだろう。彼らがそのときに十分な政治力を持っていれば、当然それを「英米英語」に代えて「国際共通語」にすることを要求してくる。
もちろん、そのときは文科省は(まだ存在していれば、だが)「中国英語ができないとビジネス・コミュニケーションで不利になり、また無用の侮りを受けるリスクがある」という理由で、低年齢からの「中国英語」習得を学習指導要領に書き込むだろう。
それに対して「バカじゃないの」と思う国民が過半に及ばないようであれば、日本はもうその前に終わっているだろうから、私が今さら心配するには及ばない。
もう一つもっと夢のあるオルタナティブもある。
それは「日本語の高度化」という選択肢である。
それを担うような天才的な「日本語の遣い手」の登場を私ははげしく待望している。

※フォント赤色は小生による


赤フォントにした部分は既に色んな方面から言われていることで、東大や早稲田の入試問題としても取り上げられたことを以前記した。こちら

これは当たり前の話である。たとえばロシア語を中国語に翻訳するとすれば、両方の言語に通じている必要がある。そうであればどこの国の言語を日本語に訳すとしても、日本語を高い水準で習得している必要がある。然し乍ら、「日本人は日本語を使える」という暗黙知がある。「使える」が「実生活に足る」を意味するならば、現状で足りる。だが、その水準であればどこの国の言語であっても、身振り手振りで何とかなる。「痛い」「暑い」「欲しい」「美味しい」…。

日本人(厳密な定義は難しいのだが)であっても、まともに読み書きができるのは半数に満たない。半数に満たないというのは小生の実生活からの推測である。正確に測れば半数を超えるのかもしれないが、そこに大きな差は存在しない。喩え話に戻る。

片言の中国語しか使えない人間が、ロシア語を中国語に翻訳するのは不可能である。これに異を唱える人はいないと思われる。ならば、日本語をまともに使えない人間が他言語を「訳す」など到底不可能な相談である。

「きな臭い匂い」〜ロシア人パベルくんへの日本語講座〜

  • 2014.08.28 Thursday
  • 02:35
自分がもし日本語話者でないとすれば、絶対にこんな言語は学習しようとは思わない。使われる文字数は数千文字にもなるし、その大半を占める漢字は単独で意味を持つだけでなく、多くは複数の読み方を持っている。

ところが、ロシアでは日本語を学ぶ人がそこそこいるという。パベルくんもその一人で、キーロフ在住の山葵辞書のユーザさん。漢字かなまじりのメールを送ってくれる。畏れ入るばかり。そんなパベルくんへのサービス。

「きな臭い匂い」
日本人であれば、「きなくさいにおい」と読むことは何ともない。だが、「きな」が外れて「臭い匂い」になると一気にややこしくなる。「くさいにおい」と読むのだが、「臭い」は「におい」とも読む。よって、「においにおい」と読んでも不思議はないのだが、「くさいにおい」と読む。「匂い」は「におい」としか読まない。

では、「臭い」を「くさい」と読むか「におい」と読むかをどう判別するか。
「文脈で判断する」というのは指導法の放棄。

「臭い」が単独で用いられている場合は「くさい」と読むことが多い。「におい」と読んでも間違いではないが、「臭い」を「におい」と読む場合は、「嫌な感じ」「好ましくない」といった意味が含まれる。新明解国語辞典による説明:
におい1.jpg

[good] が「匂い」、[bad] が「臭い」と覚えておけばよい。「悪臭(あくしゅう)」「ガス臭(がすしゅう)」「異臭(いしゅう)」「腐敗臭(ふはいしゅう)」など、「臭」が構成要素となっている言葉を考えるとわかりやすい。「きな臭い」も:

きな臭い.jpg


このような説明になっている。(新明解国語辞典)

「臭い匂い」については、
・「臭」が目に入った時点で、「匂」も視野に入っていること
・「においにおい」という言い回しはないこと
・よって「くさいにおい」と読む

アタマの中でこのようなプロセスが踏まれている(のだと思う)。また、どちらも「におう」という動詞がある。「匂う」と「臭う」。語尾活用も同じワ行五段。ただ、この場合は「くさう」という言葉は存在しないので、読み方で迷うことはない。使うときも [good] が「匂う」、[bad] が「臭う」で、「匂」と「臭」の意味合いを押さえておけば、大きく間違うことはない。

使う側からすれば風流な言語だが、学ぶ側からすればこんな厄介な言語はない。

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