拘泥

  • 2014.06.17 Tuesday
  • 10:48
蛍光灯の頃から「照明関係は東芝」と決めている。拘泥している:

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LED照明は消費電力が小さいだけでなく、色調を好みに変えられるところがよい。夏場に上の状態だとげんなりするが、下の状態だと清涼感があってよい。二つの写真は同じLED照明をiPhoneで撮影したもので、色調補正はしていない。サイズのみ縮小。

その他の拘泥は、「ヘッドフォン関係はSony」「オーディオ関係はONKYO」「ピアノ(デジタルピアノ・ピアノサウンド)はKAWAI」「ボールペンは三菱鉛筆」「鋏はコクヨ」…などなど。無論、コンピュータは林檎である。

さて。

wear.jpg
ジーニアス英和辞典第4版より

[wear] の他動詞としての第2義である。SVOCとして Object に [hair] を用いることはできるが、「普通は、そんな面倒な言い方はしない」と注釈がある。まあ、そうだろうな。My hair is long. の方が簡単。

実を言うと現在、小生の髪は肩甲骨を超えて背中の中程まであり、後ろで一括りにしている。素朴に感じられる疑問として「括るなら切ればいいじゃんか?」と云われる(訊かれる)のだが、そういうわけにはいかないのである。シャンプーやトリートメントも大変で、乾かすのも大変。床に落ちる髪の始末も大変。これらの「大変」をこなした努力の結果が「必要以上に長い髪」なのである。どうしてそういう努力とその結果を求めるのかを端的に言えば、「自分に自信がないから」である。

大概の行為は、結果を出すために努力が求められる。試験のように努力しても結果が出ないことも多い。「このことに於いては私は自信を持っている」と言える人はいい。小生とて傍からは「辞書を作って、そこそこ有名」「ピアノを弾いたり作曲したり」と評価されているのかもしれないが、どちらも「誰にでもできること」である。辞書のサイズは確かに大きいが、単に時間を掛けて単語登録しただけのものである。時間を掛ければ誰でもできる。ピアノや作曲とて、数年やれば誰でもこの程度のことはできる。

そうすると「努力とそれに付随する苦労の痕跡」を求めるようになる。円周率を延々と覚えるのもいいかもしれないが、大事なのは「視覚化」なのである。自分にも他人にも「見てすぐわかるもの」。そのようなものとして、「長い髪」はちょうどよいのである。他人から見て全く無価値であるところもよい。

カネも時間も手間も掛かる。語学やダイエット、スポーツなどと異なり、確実に結果が出る。小生にとっての「長い髪」とは、そういう存在である。
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