問題が所在するのは制度ではなく、あなたの姿勢

  • 2015.04.26 Sunday
  • 15:16
疑似科学を信じる下村博文は、妙に英語教育に熱心である。指導開始学年を小学三年生まで下げるという。

「中学に入る前に英語に触れておくべき」という主張は小生が子どもの頃からあり、小学生に英語を教える私教育組織もそこそこあった。確かにそういうところに行っていた連中は、中学に入学した段階ではアドバンテージを持っていた。だが、そのアドバンテージが通じたのは一年生の夏休みまで。二学期からは何のメリットも持ち得なかった。

中学に入る前にどういう種類の英語教育をどのくらいの時間受けたのかは知らない。どのくらいの金銭を支払ったのかも知らない。だが、結果としてたかだか中学校に入学して数ヶ月楽になるだけでは、あまりにも高い料金である。

「中高で6年間、大学や短大へ進んだ者であれば8年間以上英語を習ったはず」
「この国では9割以上のものが高卒以上の学歴を持っている」
「それなのに国民の大半は英語を読めない」

このあたりから「学校での教え方に問題がある。指導方法を変えて、履修時間も増やすべき」という考えが出てきて、小学校での英語に行き着いたのであろう。では訊きたい「あなたは高校3年生の英語の教科書を読めるのですか?」。

別に東大や京大の問題を解けと言っているワケではない。「あなたが習ったはずのこと」について尋ねているだけである。「6年間習ったのに」という主張をするためには、習っているはずの能力を示す必要がある。しかし現状は高校入試の英語すら解けない大人が大半。中学までの英語すら身についていないのなら、否、身につけたのかもしれないがすっかり忘れてしまっているのであれば、英文を読めるはずもないし、会話なんて論外。

現在の英語教育の制度に問題があるのだと主張したいのであれば、「高3の教科書くらい簡単に読めるし、苦もなく音読もできる」と言えるくらいの英語力は必要である。別に高い能力を要求しているワケではない。殆どの国民がマスターしているはずの事柄をマスターしているのかと問うているだけである。

その上で「英字新聞はさっぱりわからないし、会話もできない」と言うならば、制度の瑕疵を追及しても構わないが、「定期テスト前のお茶を濁すだけの対策」をしただけの者には発言権はない。
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