ことば

  • 2016.11.12 Saturday
  • 19:00
空気清浄機のフィルタを交換してみた:
空気清浄機フィルタ.jpg

言わずもがな、右が6年近く使ったもの。郊外で且つ、煙草は吸わず油料理もせず、それでも溜まるものは溜まる。一人暮らしなので人から出る汚れも少ないと言いたいところだが、小生は風呂が苦手なのである。

空気清浄機という家電は、昨今の家電としては極めて簡単な構造である。言うなれば扇風機の前か後ろ、或いはその両方に密度の濃いフィルタを装着するだけである。これは魔法瓶で有名な象印製のもののフィルタ。本体の製造はとっくの昔に終了されたが、この種の商品はこのようなメンテナンスパーツをどこまで供給できるかが製品の良否を決める。なんとかイオン(プラズマ)だのなんとかストリーマ、或いは高密度フィルタなどと本体の高性能を謳っても、交換部品の供給がすぐにストップするようであれば何の価値もない。

さて。

拙宅にはNHKスペシャル「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」(2013年3月31日放送)を録画したものが二つある。一つはBD、もう一つはワンセグ。以下はワンセグからのショット(時系列):

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これは番組開始からおよそ18分あたりの映像からのものである。画面に出るテロップの他に、デジタル放送故の字幕を下に表示させることができる。黄色の文字の部分はナレーターの台詞。ところが小生が示した最後の画像については、文字が黄色ではなく淡い青色である。これは佐村河内守本人の台詞であるからである:


「超うれしい」。


中高生の雑談ではない。
確かに、この台詞をテロップにしなかったスタッフの心情は理解できないものではない。しかし、これは間違いなく佐村河内守の口から出たものであり、その音声も放送された。

誰がどこでどのような言葉を用いようと、それは他者が口を挟むべきことではないし、誰もそんな資格を持っていない。小生とて、大学の一般教養での物理実験で電導体を液体窒素で冷やし続け、あるところを超えると電流値がテスターで振り切れるくらいに上がるのを見て、「『超』伝導」を目の当たりにした。今でも、どれだけ高い温度で超伝導現象を生じさせる物質(高温超伝導)を作れるかという競争は行われている。

非線形現象に対して「超」を使うのは、言葉の理にも適っている。だが、「チョーきれい」「チョーうまい」「チョー欲しい」「チョー美味しい」あたりには、ご自由にどうぞとしか言えない。「チョー」が濫用される前には、「すごい(く)」が使われていた「すごくかわいいからすごい欲しい」。

「すごい(く)」のときには「『凄』の偏は『にすい(冫)』だろう?」という指摘が可能であったが、「チョー」にはそのような解釈も説明も通じない。フルーツパフェを食して「これ、チョーヤバイ!」と宣うような輩には何も言わない。

言葉は意思伝達媒体であるので、重要なのは形式ではなく伝達力である。そして「チョーヤバイ」も伝達力を持つ。伝わる以上は存在意義がある。小生は言葉の変遷に物申す立場にはない。しかし、同種の言葉を使って意思疎通を図ることは小生にはできないので、発言者から距離を置くしか方法はない。


……。
Nスペのスタッフは「超うれしい」疑念を抱かなかったのだろうか。

NHKの報告書→これ(pdf)
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