「当たり前」を否定するアベとその仲間

  • 2017.04.12 Wednesday
  • 15:58
まずは出典を示さずに二つの社説を並べる。

一つ目(4月6日付):
 教育勅語は、大日本帝国憲法と不可分の存在だった。その事実を忘れてはならない。
 政府は「教育勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切だ」とする答弁書を閣議決定した。民進党議員の質問主意書に答えた。政府がこれまでに表明していた見解に沿っている。
 答弁書は、教育勅語を「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」とも言及した。
 実際、高校の日本史や公民の教科書には、教育勅語の全文や抜粋を掲載しているものもある。日本の大きな転換期だった明治から昭和期にかけての歴史を学ぶ教材として、教育勅語を用いることは、何ら問題がないだろう。
 ただし、道徳などで教育勅語を規範とするような指導をすることは、厳に慎まねばならない。
 明治天皇が1890年に、君主に奉仕する「臣民」への教えとして示したのが教育勅語だ。
 「皇祖皇宗」以来、連綿と続いてきた「国体の精華」の維持を教育の根源とした。危急の大事には、皇室・国家のために尽くすことを、天皇が国民に求めている。
 天皇中心の国家観が、国民主権や基本的人権を保障した現憲法と相容あいいれないのは明らかだ。道徳の教材に用いれば、学校での特定の政治教育を禁止した教育基本法にも抵触する可能性がある。
 戦後、国の教育指針は、現憲法の精神を踏まえた教育基本法に取って代わられた。1948年には衆参両院が、教育勅語の指導原理を排斥し、失効させる決議を採択した。教育勅語は、法的効力を失った史料に過ぎない。
 国有地売却問題で揺れる森友学園は、運営する幼稚園で園児に教育勅語を暗唱させていた。
 これに関連して、稲田防衛相は国会答弁で、「道義国家を目指すという教育勅語の精神は取り戻すべきだ」と述べている。
 確かに、親孝行や夫婦愛など、現在にも通じる徳目を説いている面はある。しかし、教育勅語を引用しなくても、これらの大切さを教えることは十分に可能だ。
 菅官房長官が「政府として積極的に教育現場で活用する考えはない」と強調したのは当然だ。
 過去には、建国記念の日に校長が教育勅語の朗読をしていた島根県の私立高校に対して、県が改善を勧告した事例もある。
 教育現場で憲法や教育基本法の趣旨に反する行き過ぎた指導があれば、是正する必要がある。


二つ目(4月9日付):
 教育勅語を巡る応酬が収まらない。勅語は大日本帝国憲法の下、天皇を君主、国民を臣民とする国家観を補強する目的でつくられた規範だ。史実として学ぶ意義はあるが、子供たちの道徳教材として用いることは妥当ではない。
 政府は教育勅語について「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との答弁書を閣議決定した。現に中学、高校の歴史、公民などの教科書には勅語の全文、または一部が掲載されている。近現代の史料として勅語の果たした役割を学ぶことに異論はない。
 むしろ勅語が示す家族国家観が戦時の総動員体制とどのように融合したのかなどを、生徒の発達段階や興味、関心に応じ、能動的に学ぶことは、新しい学習指導要領の趣旨にも合致するだろう。
 今回、教育勅語が注目されたのは、学校法人「森友学園」(大阪市)が運営する幼稚園で、園児に暗唱させていたことが問題視されたからだ。勅語が説く夫婦愛などの徳目が現代社会でも通じる、と擁護する閣僚の発言もあり、波紋が広がっている。過去の経緯を踏まえ、冷静に議論すべきだ。
 教育勅語は1890年、大日本帝国憲法が施行された年に発布された。親孝行など臣民が守るべき徳目を列挙する一方、「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身をささげて皇室国家のためにつくせ」(旧文部省の通釈)と説く。
 個々の徳目の当否以前に、天皇が臣民に説諭する「語りの構造」自体が、国民主権を原理とする現憲法になじまないことは明白だ。1948年に衆参両院が、排除や失効を決議したゆえんである。
 その意味では、学校現場を預かる松野博一文部科学相が、「道徳を教えるために教育勅語のこの部分を使ってはいけないと私が申し上げるべきではない」との認識を示したことには違和感を覚える。
 勅語は部分ではなく全体の効力を失ったと解すべきだ。道徳の教典として復活させてはいけない。


字面だけ見ていると朝日新聞か毎日新聞の社説と思わされるが、一つ目は讀賣新聞の社説で、二つ目は日経新聞のそれ。

安倍晋三は教育に熱心だと自負しているようだが、現場の教員や私教育に従事している者は安倍よりも実態に詳しい。小生は小さな学習塾を外野から手伝っているだけだが、それでも安倍よりもは現場を知っていると確信を持って言える。県立高校の入試問題が織り込まれた新聞は、後日、販売店に注文したくらいである。

公立高校の入試問題は、公立小学校と中学校で学ぶとされることから出ている。英単語であるならば、中学生向けの教科書は何種類かあるが、全ての教科書に載っているモノしか扱われない。要は、「義務教育を受けていれば解けて当たり前」の問題しか出されない。田中角栄は小学校しか出ていないことで有名だったが、他の総理は高卒どころか大卒ばかりである。

道徳の教科化?構わんよ。しかし条件がある:
あなたが受けてきた教育では道徳が無視されたが為に、今のような横柄な態度を取っていることを認めること

小学校での英語の必修?構わんよ。しかし条件がある:
外務省の職員や外国の日本大使館で働いている職員の全てが、中学以前から外国語に触れる機会に恵まれていることを示すこと

海外渡航経験のない小生。英語はなんとかわかる。それはテレビでの東京の言葉を聞いて理解することはできても、話すことができないのと同じ。東京の言い回しを理解しておいた方が、パソコンでの日本語の入力は有利である。外国語も同じである。簡単な注意書きくらいはわかる方がよい。日本で交通標識の「とまれ」を理解できなかった外国人に対して、「外国人だったんですか、ならば読めなくても仕方がないですね」とならないのと同じ。
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