文月の朔

  • 2017.07.01 Saturday
  • 19:56
下のエントリの続き。

46歳にもなると随分機会も減るのだが、「自己紹介」という日本の儀式がある。カタカナで「プロフィール」「プロフ」と略されることもあるが、自分のことを殆ど何も知らない人を相手にオノレの情報を開示する行為。学校や会社で行われるそれでは、帰属組織が重視される「○○という学校から来ました」「前は○○という仕事をしていました」。

数学関係の学科や組織に属していたと言うのであれば「素数とはなんて美しい存在なのだろう」と言えるだろうし、ドイツ語をやっていたと言うのであれば「海は女性なのに湖は男性、それが真実かもね」と言えるかもしれない。逆に「自民党」「創価学会」という言葉を発する人に対しては、距離を置くしかない。

豊田真由子議員が「大阪のおばちゃん党」というところの出身だったらどうだったろうか?「やっぱり関西人とはつきあいたくない」と思われるか、「いやいや、さすが関西のおばちゃん。たくましい」と評価されるか。

「維新」だったら、「やっぱりね」で終わる。
「公明・創価学会」だと、「あそこの宗教は怖い」と小生なら思う。
「共産党」だったら、「あの政党はやはり狂信的だ」とされる。
「幸福実現党」だったら、……、これは省略。

今回は「高学歴でキャリア官僚出身」とカテゴライズされただけで、帰属組織がどこであっても相応の非難を受けたはず。無論、彼女を弁護する気などさらさらないことは言う迄もない。「自民党の二年生議員」というカテゴリにも入っていたかな?例によって麻生太郎は「あれ、女ですよ!」と非難か蔑視か弁護かわからんことを宣っていた。

「人の心などわかるはずがない」と著書「こころの処方箋」の冒頭で断じた河合隼雄先生。

「わかるはずがない」のだが、日常生活では「わからない」「わかりません」で通すワケにもいかないので記号やシンボルを用いることになる。星占いや血液型診断というのは、ここをついた賎業。

既に評価(特に悪い方の)の定まった組織に「入信しました」「入党しました」「入会しました」というような輩は斬り捨てるよりないが、そうでない限りは眼前の人物をオノレの目で見るよりない。面倒ではあるが交友関係をひろげる方法はこれだけであり、よって小生には友人が少ない。「あ、こいつバカだ」と思った瞬間に斬っている。斬られたことも同じくらいあるはずだが、そんなことを考えても仕方がない。

そうなると、スタート地点に戻る「好きか嫌いか」。

「どうしてそんな難しい論文や外国の文献を読んだり、数式を追い掛けたりしているの?お金ももらえないんでしょ?」「好きだから」。
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